いつも遠巻きに眺めていた、神戸ポートタワー。
初めて上ってみた。
![神戸ポートタワー](http://art37.photozou.jp/pub/579/126579/photo/53881321.jpg)
たかだか108m、東京タワーに比べたら1/3の高さしかないけど、周りが海だからかそれ以上に高く感じる。
あの阪神・淡路大震災の時でさえ、ぴくりともしなかったポートタワー。
この街が再生していくのを、きっとつぶさに見つめていたのだろう。
![神戸ポートタワー](http://art26.photozou.jp/pub/579/126579/photo/53881279.jpg)
閉館間際だったせいか、人もまばらなタワー上層階。
ぐるりと見渡す神戸の夜景は、なんだかちょっと物悲しさすら漂っていた。
別に神戸に住んだことがあるわけじゃない。だけど、好きな街。
震災に遭った友達もいる。昔付き合っていた人も、そんな経験をした1人だった。
どうだったの?どのくらい揺れたの?家は?家族は?友達は?学校は?
聞いてみたいことはいっぱいあったけど、触れてはいけないタブーのような気がして結局何も聞けなかった。
テレビで観る惨状と、実際その場で経験した人との「見え方」は、決して同じではない。
私は電波を発する箱の中に映っている、ただ壊れていく街を「非現実的」なものとしか捉えられなかった。
今のこの現代の日本で、こんなことが起こりうるの?
確かあの日は、高校の同級生たちと屋内スキー場に行ったんだ。
「関西の方で大きな地震があったんだってね」「えっ、そうなの?」「ニュースでやってたよ」
こんなお気楽な会話をしたのを覚えてる。
家に帰ったら、テレビのニュースでは「死者が800人を超えた」、と伝えていた。
その時にやっと、ただごとではないことが起こったんだとはっきりわかった。
![神戸ポートタワー](http://art39.photozou.jp/pub/579/126579/photo/53881292.jpg)
震災の1年後、神戸の街へ初めて行った。
まだ復旧工事は続いていたけれど、街は元の姿を取り戻しつつあった。
そのパワーに圧倒された。そして決して他人事ではないんだということも、同時に気がついた。
興味本位で、彼の記憶をほじくらなくてよかったと、今は心から思う。
話したいことも、話したくないことも、きっと全部話してくれただろうから。
眼下の景色を眺めながら、なぜか涙が出そうになったのは、
そんなセンチメンタルな気分になったからなのかもしれない。
![MOSAIC](http://art25.photozou.jp/pub/579/126579/photo/53881308.jpg)