ネットの使い方って、ほんとに難しいと思う。
ボタン一つで欲しいものが買えて、家まで届けてくれるなんて便利な道具、今さらなくなっちゃ困る。
だけど同時に、どんどん身動きができなくなっていることにも気がつく。
すべての人から好かれようなんていうのは、昔っから無理なんだ。
人はそれぞれ個性を持っていて、違って当たりまえ。
自分と違う個性だからこそ、面白かったりもするし、腹が立ったりもする。
こうしてたくさんの情報が日々発信されていく中、「誰とどこへ行きました」「ここで何を食べました」なんていうのは
ある意味個人情報で、自らすすんでそれを垂れ流していることになる。
時間や場所やその場にいた人の情報を突き詰めていけば、どうにかこうにか本人にたどり着けるかもしれない。
ネットは相手の顔が見えない、なんて慢心していると、意外なところで有名人になってたりすることもある。
ネットだけに限らず、自分の顔をさらさないで言いたいことを伝える方法はあるけどね。
そしてそんな情報を見て、何かの文章かもしれないし写真かもしれないけど、気に食わない表現があったとしよう。
「ムカつく、なんなのこいつ。こんなこと書いて」って。
そんな人に、「それではこのブログ(もしくはmixiやtwitterとかいろいろ)を見ないでください」なんて言っても無駄なんだ。
だって、その人はそれが読みたくて読みたくて仕方ないから。
読んで読んで、できるだけたくさんのアラを探して突っついて、「ふざけんなエネルギー」を蓄積していきたいから。
その溜まったものがどこへ行くかが気になる。
「言いたいことがあるなら直接言えばいいのに」なんて、度胸のあることは言えない。
小心者だし、もしバーンとそれを投げつけられてきたら、きっとベッコベコに凹むに違いない。
地球上のすべての人を許して生きていけたら、どんなに楽だろう。
でも絶対、そんなことはできないし、許してもらうこともありえないだろう。
だったらどう折り合いをつけて生きていけばいい?
人なんて、生まれたからにはその先に必ず死が待っている。
殺しあわなくったって、殺さなくったって、ほっときゃいつか必ず死ぬんです。
何十年かすれば、今ここに生きている人は誰もいなくなるんです。そう、あなたもわたしも。
あなた、生きていて楽しいですか?
こう問われたら、胸を張って「はい」と言える人生ってどんなものなんだろう。
人はどうして生きているのだろう。何かを手に入れるため?何かを蹴落とすため?誰かを不幸にするため?
怒りという感情は、決して悪いものではないと思う。
自分の中に「怒り」という感情があるからこそ、相手がなぜ怒っているのかも理解できるんだと思う。
「楽しい」っていう感情がない人は、人がどうして楽しいのかわからないだろうし。「悲しい」についてもしかり。
だけど、その矛先を間違っちゃいけない。
きちんと対決するだけの覚悟がないからって、全然関係ない方向に持っていくのはおかしい。
それって反論されたら対抗できる自信がないから、なのだろうか。
生きてりゃいろんなことあるよ。
いちいち全部受け止めてたら、あっという間にキャパオーバー。
サラリと受け流せる、人生の余裕があればいいのに。
なんてな。







